ロサンゼルスマラソンに参加してきました。 Name:渡辺 哲

 

マラソンは素人が世界の舞台で陸上競技のレースに比較的簡単に参加できる唯一のスポーツに思われる。今シーズンのフルマラソンは、欧州、アジア(東京夢舞い、アテネクラシックマラソン、シンガポールマラソン、東京マラソン)と回ったので、最後に米国に移りロサンゼルスマラソンに参加した。ロスは3年半前まで約8年間駐在し、LTRC(リトル東京ランニングクラブ)に属しランニングを楽しんだ街なので、記録を狙うといよりセンチメンタルジャーニーとなった。レースまでの三日間、次から次と懐かしい人と会い食事をしながら会話を楽しんだ結果、急速な体重増、睡眠不足、二日酔いとなり、さらに時差も加わり、夜12時から一睡もせずにフルマラソンに参加する事になった。前日のEXPOでは、砂漠のロスではありえない土砂降りで、ドジャース球場のテントの中は、池や川が出来ていて、BIBを貰うのに膝近くまで水につかる始末。天気予報も悪かったが、レース当日は雨から曇り、そして快晴へと変化、気温は低く絶好のマラソン日和となった。スタートは朝7時半、スタート前に歌手のアメリカ国歌を聞きながら、一緒に歌うのは米国でのマラソンの楽しみ。まだ暗い空をドジャーススタジアムのライトが照らすスター地点で、前方を見ながら、これから頑張るぞという覚悟と、寒さの中の緊張感を持てる事は参加した者に与えられる御褒美。コースは一貫してゆるい起伏が続くものの、ロスの名所を次から次へと巡っており、全く飽きない。ハリウッドのフラメンコの店“エルシド”の脇を走れば、LTRCのメンバーと一緒に見に行った懐かしい思い出が蘇るといった調子である。さらに、LTRCメンバーが三ヶ所で応援もしてくれた。小生の為に応援幕まで作ってくれて感謝感謝。しかし、一旦止まったらすぐには走り出せなくなりそうで、止まらずに挨拶し通過させてもらった。小生の名前、TETSUは呼びやすい故か、あるいは小生が余りにも苦しそうに走っているからか?次から次と、沿道の人が声をかけてくれる。“哲”と 呼ばれ、頑張れ!頑張っているよ!と応援されれば、手を上げて答えざるを得ない。レース中100回近く呼ばれた様な気がする。天気も走るにつれてどんどん回復して、体調の悪さにも拘わらず、気分は最高である。ロデオドライブあたりは、東京マラソンの浅草寺前や銀座の様な混雑具合。一寸足は疲れてきていたが、気分は最高潮。しかし、22マイルあたりからは、いつもの通りの地獄絵図が現れる。サンタモニカに近づき、既に下り一方の最終コーナーにも拘わらず、足が痛くて走れない。さらに吐き気がする。やむなく歩き出す。マラソンは人生と同じ。良き時もあり、辛い時もある。その過程を全て楽しむのが人生であり、マラソン。そんな思いをしながらふらふら進んでいると、ゴールが見えてくる。最後の500メートル程は、余りに観客が多く、足が痛くとも、気持ち悪くとも、走りぬいた。今シーズン5回目のフルマラソンのゴールで左程感慨は無く、完走メダルを貰ったら、気持ち悪いので道路端っこに寝込んだ。吐き気がするが、もう走らなくてよいという気持ちと、道路の暖かさで、うとうととなる。一寸気を失っていたら、叩き起こされた。係りの者が心配して、車椅子に乗せて小生を救護所に運び込む。暖かい道路から、寒いテントの中のベッドに寝かされる。気持ち悪いのに色々聞かれる。迷惑だが、ご配慮に感謝して、しばらく後、自分の車に戻り、エアコンのヒーターをフルにして寝込んだ。4時間33分の夢の続きを見ながら。ほぼ徹夜の一日眠かった。